
2020.9.30
フィクションか、ドキュメンタリーか
最近めっきりテレビを見ることが減った。ただ、それでも「情熱大陸」は録画してでもほぼ毎週見ているし、「セブンルール」や「プロフェッショナル仕事の流儀」「YOUは何しに日本へ?」などのドキュメンタリー系の番組は、タイミングがあえばチャンネルを合わせている。
逆にワイドショーは全然見なくなった。VTRの演出が大袈裟なこともあるし、発言の一部を切りとった編集をして問題になったりしているから、その内容をどれだけ信じていいのかわからない。
それに、当事者ではないコメンテーターの発言は、たとえそれが片寄った意見だったとしても、テレビを通して見ると、あたかも正しい意見、大多数の意見だと捉えられてしまう空気がある。なので、反対意見をもつ別のコメンテーターの出演も必要ではないか。
さて、会社が自分たちのことを発信する際の表現には、大きく2つの方向があると思う。
ひとつ目はワイドショーのような方向性。当事者ではない人(ワイドショーでいうコメンテーター)の力を活かしながら、問題にならない範囲で内容を脚色し、大袈裟な演出で、強めの主張をおこなう。
ふたつ目は、ドキュメンタリーのように自分たちを主役にした方向性だ。
前者における「当事者ではない人(ワイドショーでいうコメンテーター)」は、会社のホームページに例えると、過度なデザインやコピーであり、デザイナーなどの制作者自身でもある。本来の主役ではない人が目立ちすぎることによって、主役のことがちゃんと伝わらない恐れがある。
当然ながら、後者の「ドキュメンタリーのように自分たちを主役にした方向性」の場合でもデザイナーといった当事者ではない人も関わることになるが、前面にでることはない。主役のことを理解し、どう表現すればその人らしさが伝えられるかを考え、形にしていく。
そして、言葉もビジュアルもそのほとんど全ては、主役が起点にあるものとなり、本来の姿が伝わりやすい。
商品の宣伝であれば、話題づくりのためにワイドショー的でもいいかもしれない。少しでも良く見せようとコメンテーターたちが賑やかにあれやこれやとコメントをする感じだ。ただ、一時的な流行りものとなり、ワイドショー的な次の新鮮なネタが見つかれば、すぐに忘れられてしまいそうだ。
また、ワイドショーのような方向性は、似たような表現に落ち入りやすい。逆に、ドキュメンタリーのような方向性はその人自身が主役だから、よくも悪くも差が出やすい。ドキュメンタリー番組に出られるように、自身のスタンスをちゃんと考えていく必要もある。
インターネットが浸透する前は、会社のことを広く伝えるには、テレビCMや新聞広告などのマスメディアが中心で、それらは大きな会社の場だった。有名タレントがお金をもらってどこかの会社をお薦めするなんて、そこだけ考えればなんだかおかしな話だけれど、タレントの話題性や知名度は有効なんだろう。
小さな会社の場合はどうだろうか。
大きな会社のフィクションのような広告ではなく、これからますますドキュメンタリー性が大切になっていく。僕はそう考えている。
影山大祐



